若さと可愛さを自分のアイデンティティーにしている女の子があまりにも多すぎる。彼女たちは、若さを失ったら何も残らなくなる恐怖があるから、アラサー女子なんて言うし、
可愛いものを持つのをやめない。女子でもないし可愛いものなんてもう似合わないのに。
現実の中二病の末路というのは、ダークフレイムマスターとかレベル8の魔術師とかそういう派手で明るい物ではなく、「周りの人間が全員馬鹿に見えるみたいな事を思ってたらいつの間にかどこにも居場所がなくなっていた」といったような非常に地味かつ致命的な物だと思う。

(出典: corporalsteiner)

我が家には鉄の掟があります。

「調理した者、皿洗うべからず」

うちは夫婦共働きなので家事を分担するアイディアです。妻の方が帰りが早く平日の料理は基本的に妻、休日は僕が料理しています。するとどうしても妻の方が料理する回数が増えてしまうため、こういうルールが導入されました。

やってみると意外としっくりくるルールで、料理した後に洗い物しなくて良いって嬉しいんですよね。料理して食べてお酒飲むと皿洗い面倒じゃないですか? それが料理した後は食べるだけ。うだうだTV見ながらビール飲んで過ごせる幸せ。

逆に料理作ってもらった時は「美味しい料理をありがとう」の気持ちでお皿を洗う。とても良い。

もうひとつ利点があって、料理しながらお皿片づけられるようになりました。あんまり大量に残しておくと、家事できない人みたいでカッコ悪いんですよ。

昔のATMは音声の容量が少なかったから、短いフレーズの切り貼りでメッセージを流していた。
「カードを」+「お入れ」+「ください」
「暗証番号を」+「お押し」+「ください」
「現金を」+「お取り」+「ください」
ある日「ください」だけ無音になる故障が起きて女王様ATMが誕生した。
子どもに対して「もっと現実を直視しなさい」と説教する親や教師がいますが、自己評価と他者の評価が一致している、すなわち“勘違いしていない”ひとの典型はうつ病患者です。あらゆる出来事をネガティブにとらえてしまうのがうつ病だとされていましたが、最新の研究では、彼らの自己認識は正確すぎてポジティブな勘違いができないのだと考えられるようになりました。
そういえばTwitterの無職はおもしろい論だけど、古今亭志ん生が噺家ってのは貧乏でなきゃおもしろくない。小金持ってる噺家の噺なんて誰も聞かない。貧乏のどん詰まりがあれやこれやと話すからおもしろいんだって言ってたのを思い出した。

(出典: uinyan)

イタリアのサッカーの試合で、ゴールエリァのファールを取られてフリーキックになったことがありました。

誰もがエーッとなりました。

攻めている側もわかるミスジャッジでした。

サッカーは、ミスジャッジも含めたゲームです。

「いただき」でシュートを打っていいシーンです。

フリーキックをする選手は、フワーンと蹴って、わざとはずしました。

誰もが大拍手です。

最終的には、わざとはずしたチームが勝ちました。

サッカー場にいた人は最高のシュートを見たのです。

両チームとも「いまのは誤審」とわかって、もう1つ上の試合をしています。

見た目の試合に勝って生き残るよりも、記憶の中に生きのびています。

みんなの記憶の中に生き残ると同時に、気持ちが自分自身の人生に残ります。

審判に決められることではないのです。

ギリギリセーフかギリギリアウトかは自分の中の判断です。

ぶちキレそうなところを「危なかった。いま怒るところだったよ」というのはセーフです。

ぶちキレそうだったのがぶちキレていません。

「許した」もセーフです。

審判のミスジャッジに、「いまのはおかしい」と食ってかかるのを、ファンは見たくありません。

審判に食ってかかるのを見たくて、競技場へ行っているのではないのです。

ミスジャッジでも「いまのファールは厳しいよね」と言いながら見ています。

そんなこともあると、選手も見ている人もわかっています。

審判も「しまった」と思っています。

すべての人がここで救われるのです。

審判は、「フリーキック」と言ったあとで、「ゴメン、いまのはちょっと違った」とは言えません。

フリーキックをわざとはずすことで、審判の面子もつぶさずゲームの続行を共有できます。

これが大人です。

子どもは、みんなが感動しているのを見て「スポーツっていいな」と思います。

ただ勝つよりも上の世界があるのです。

アメリカ人が「ゲームと犯罪が無関係なのは日本が証明している。あれだけゲーム狂が多いのに世界最高水準の治安だ。」って言ってたけど、これは一理あると思う。
ddnjapan:

うわぁぁぁ、こいつ… 動くぞ?!なぜか怖い「カーネル・サンダース」 | DDN JAPAN http://bit.ly/15SIIXU

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子供の意識はおとなの意識に較べて遙かに稠密なので、子供の一日はオトナの一日に較べて感覚的に言って5倍から長いと思われる。
そのただでさえ長い時間のなかで、たとえば、夏の雨に降り込められた退屈な午後、自分の頭のなかに宿っているあれこれの言語化された経験と交渉する時間をもつことが子供が育つためには絶対に必要である。
子供がやがてそれにすがって生きてゆくことになる「自分が自分であることの感覚」をつかむには、いてもたってもいられないほど退屈な時間のなかで、自分という得体のしれないものと向かいあってすごすことが不可欠であるのは、ほぼ直感的に明らかであると思うが、おもしろいことに、日本の親たちはそう思わなかったもののようである。 時間を奪われた子供は、自分が自分であるという感覚をつかめないまま社会へ出て行って、そこで自分を発見しようとする。
それは心がおとなになってしまっている以上、まったくムダな努力だが、とにかく自分が自分になってもらわねば生きている心地がしないので、終いには相手の男や女にそれを求め、酷い場合には仕事に自分を発見しようとするひとまである。
悲惨、であると思います。